後悔させない優しさ。

夢子ちゃんが、白血病を発症したのは、生後3ヶ月になってすぐのことでした。
私達家族にとっては、突然のこと。突然…
でも、3ヶ月になる1〜2週間前に、突然熱を出しました。おっぱいもよく飲んでいたし
元気にしてくれていました。
いちよ小児科に連れていきました。風邪だね。と言われました。完全母乳で、もう風邪ひくんですか?と、聞きました。
先生は、これぐらいからひく子は、ひくよ。と言われました。まだ暑い日が続いていたので、外にも出ていないし、誰も風邪ひいていないのに、腑に落ちない気持ちでしたが、
お薬をもらってきました。案の定、母乳しか飲まないので、お薬は、吐き出して飲んでくれず…でもお熱は、夜には、下がっていたので、飲みませんでした。その頃ぐらいからだと思うのですが、寝ている姿を見ると、顔色が何だか変な気がしていました。少し胸騒ぎがしました。母乳飲んでいるから黄疸かな?と思ってみたり、でも少し違う気がして…
顔に湿疹ができて赤くなっていたのを、小児科でもらった軟膏を塗ったら赤みがひいたから?とか。何か分からない違和感を感じていましたが、おっぱいもよく飲み、本当に元気にキャッキャッとしてくれていたので、考えすぎかな?と思いました。でも、意識がなくなる2〜3日前から顔や身体に小さな点がありました。何かな?と思い、確かネットを見たと思います。そんなに心配ないような事が書いてあったと記憶していますが、よく顔を掻いていたので、爪があたったのかな?と思いました。今からすれば、血小板がさがっていたのと、顔色もかなり貧血だったと理解できます。確か足に小さなアザもありました。
でも、私の中では、赤ちゃんが貧血になるなんて、夢にも思っていなかったので、私が神経質になりすぎているんだと言いきかせていました。あまり続くようなら病院にいこうと思い様子をみました。
そして、生後3ヶ月を迎えた2日後に、極度の貧血と、白血病細胞が脳に入って腫れてしまった事により、意識をなくしてしまいました。夜中からずっとグズグズしていて、
おっぱいをあげたら初めてすごく嘔吐しました。少し微熱がありました。日曜日の朝でした。パパもお休みでいました。やっと朝寝てくれたので、落ち着いたのかな?と思い、パパと一緒に寝てもらっていました。その後もよく寝ていましたが、いい加減、そろそろおっぱいあげないと、と思い、起こしましたが、何だか様子が変でした。ふにゃふにゃな感じ?
あまり反応がなくて…焦りました。脱水かな?と思いました。パパに変じゃない?と確認しましたが、眠いだけじゃないの?と。私もそう思いたかったけど、とても不安になり
一階にいる母のところに連れていきました。
母も、そうかな?と言いました。とりあえず休日診療に連れていこうと思い、連絡先を探していたら母が、やっぱり変だよ。と言いました。私も焦って探していたら一階から母の叫ぶ声が聞こえてきました。
「夢子ちゃん息してないよ!おかしいよ!救急車呼んだ方がいい!」と。
もう私もパニックですし、手が震えていたと思います。そして、救急車が来て乗りました。その日は、台風が来ていて雨が降っていました。救急車に乗って病院に行く前に、血圧や脈拍など計測してもらったら、とても普通の値でした。
救急隊員さんが、市民病院に連絡をしてくれていましたが、病院の先生が直接私とお話がしたいと電話を渡されました。
とても優しく丁寧に、
「お母さん、とても心配だと思いますが、血圧や脈拍を確認したら安定しているので、
今の状況なら大丈夫かな?と思いますが
このままもちろん救急車で来てもらってもいいんですが、台風の影響で事故などで救急の方がとても混んでいるので、もし可能でしたら自家用車で来る事ができますか?」
と言われました。私は、少し安心しました。
なんだ、大丈夫だったんだ。心配しすぎだったんだ。と。
事故で大変な人がいるし、他にも救急車必要な方がいるだろうと思い、救急車を降りました。そして、自家用車に乗り換えすぐに病院に向かいましたが、やっぱり車中では、様子が変でした。抱っこしていても、身体が軽く
ふわっとしていて、顔色も真っ白でした。
祈るような思いで病院まで行きましたが
病院の救急外来は、混んでいました。
それでも脱水気味で元気ないのかな?と思いたかったですが、とても恐怖でした。
看護師さんにとにかく顔色が悪い事を伝えました。今思うと、あまり神経質になりすぎては、いけないと自分に言いきかせていたと思います。神経質に心配して、周りに心配をかけないようにと思っていたと思いますが、
今なら神経質ぐらいでよかったんだと思います。
そこからは、テレビで観るようなシーンの連続でした。救急のお部屋に呼ばれ、説明を受けました。看護師さんたちがバタバタしたお部屋の隅で、想像を超えたお話を聞きました。たぶん白血病だと思うと。CTを撮った画像を見せてもらった時に、誰かが後ろから小声で、えっ!腫瘍?と言いました。
その声をキャッチしてしまった私は、えっ?
腫瘍???
先生は、脳が何らかの影響で腫れているのか、出血なのか、まだ分からないけど、何か写っているから、その影響で意識がないのだと説明してくれたと思います。
恐怖で立っているのもやっとでした。意味が分かりませんでした。パパが手を握って支えてくれていた事は、覚えています。とにかく今は、生きているのにギリギリの貧血の値なので、今日は、輸血をして、とにかく命を繋げて、明日少し安定できたら名古屋の大きな病院に救急車で転院しましょう。と言われました。たまたま当直で小児科の先生が病棟にいてくれ、その先生が説明してくれました。
その先生こそが、私達家族がこれから始まる闘病生活の幕開けとなる、1番始めの命の恩人のM先生でした。
その日は、ICUで管理してもらいました。
いろいろな手続きや、説明で気持ちも全くついていかず、言われた通りに動くのが精一杯でした。そして、自宅に帰り祈るような夜を過ごしました。帰ってからリビングに入ると夢子ちゃんの香りや、物がいっぱいで…
洗濯物のから夢子ちゃんの香りがして、思い出しては、2人で泣いていました。離れ離れがとても辛かったです。
そして翌日まで夢子ちゃんは、頑張って生きていてくれました。そして、前日からM先生は、ずっと夢子ちゃんを診ていてくれました。そして、寝ていないのに救急車で名古屋の病院まで私と同乗していってくれました。
とてもスムーズな手配をしてくださり、そこから2時間弱だったと思いますが、お世話になる名古屋の病院に向かいました。
救急車の中では、夢子ちゃんは、ベットに寝かされてモニターを付けているので、先生と2人で並んで座りました。先生は、私を元気づけようといろいろお話してくれました。先生にも夢子ちゃんより半年ぐらい先に産まれた娘さんがいるようで、だから私やパパの気持ちもすごく理解してくれました。
そして、その時は、まだ採血だけで、骨髄検査をしていないので、白血病が確定では、ないけれど、ほぼ白血病だと思うと伝えてくれ、この月齢の白血病だと市民病院では、管理できなくて、でもこれから行く病院は、血液のトップクラスの病院だから安心だよ。と伝えてくれました。私よりとっても若くて、
とても真っ直ぐな愛のある好青年な先生でした。受け答えもハキハキと、分かりやすく、笑いも入れてくれ、私の気持ちも和ませてくれました。私は、その先生に、今までの経緯を説明し、こんな事になる前に気づけたんじゃないか?と聞きました。
さすがに私も母親として、何かできたんじゃないのか?夢子ちゃんにこんな思いをさせてしまっている事に、自分が悪いんじゃないかと思ってしまいそうでした。

先生は、ハッキリと、「確かにこれぐらいで熱も出る事があるし、そこまでの高熱じゃなければ、赤ちゃんに普通採血しませんし、
おっぱいも飲んで吐いていなければ、様子みますよ!お母さんの判断で間違ってないですよ!」と伝えてくれました。
そして、今、思えば顔色は、悪かったこと。
など伝えたら、
「普通は、おっぱい飲んで元気な子供に貧血なんて疑わないですし、僕たち小児科医でも採血結果をみて判断するので、それは、結果論でしかありません!」と、そこは、ピシャリとハッキリ私に伝えてくれました。
優しく喋ってくれていた先生が、その言葉は、強めに伝えてくれました。
その言葉に本当に救われました。
涙が出そうでした。
そんな事を攻めては、ダメなんだと思いました。お母さんの判断は、間違っていないですよ。と、改めて伝えてくれました。
本当に本当に優しく深い愛を感じました。
もし、この思いをずっともったまま名古屋の病院で夢子ちゃんの看病をしていたら…
きっと、いろいろ変わっていたと思います。
後悔や自分を責めていても何も変わらないから。過ぎてしまった時間は、戻せないし、
その時だって、私、一生懸命だったし。
自分を責めている時間があったらやれる事いっぱいあると思いますし。
その言葉で、これから始まる闘病生活の恐怖を知らない私は、その思いは、捨てよう!
前を向いていこう!と思いました。
そして、「きっと少しずつ貧血は、酷くなっていったと思うけど、この状況になるまで元気におっぱいを飲んでいたなんて、本当に強い子だね。昨夜も本当に大変な状態だったのに、こうして持ちこたえてくれて、本当にすごい子だね。」と伝えてくれました。
救急車の中で伝えてもらった先生の言葉に
私は、本当に救われ、闘病生活の中でも
何度も思い出しました。
自分を責めて生きていくのか、前を向いて生きていくのか…が、どれほどの違いがあるのか…。
命を救ってくれ、母親の私の気持ちを救ってくれたM先生に本当に感謝しています。

闘病生活中、退院して元気になったら
M先生に絶対にお礼を伝えたいし、先生に会いたい!と思っていましたが、その夢も叶いました。先生も夢子ちゃんの事は、しっかり覚えていてくれました。
退院後、市民病院でフォローしてもらっているので、何度か診察してもらいましたが、
先生もお若いので、いろいろ異動があり今は、違う病院で働かれていますが、先生を思い出すと、感謝の気持ちと、先生と先生のご家族が幸せであってほしいなぁ♡と思っています。



こんなに大きくなりました♡
名古屋の病院を退院して初めて市民病院に受診に行ったとき♡こんなに小さかったんだね。

ゆめママのHappy aroma メゾット

初めまして♡子育て中のアロマセラピストです。我が家の1人娘の夢子ちゃんは、生後3ヶ月で白血病を発症しました。それに伴い水頭症にもなり何度も生死をさまよいながら奇跡の生還をしてくれました。今は、障害もありながらゆっくりなペースで、毎日キラキラ元気に成長してくれています。私達家族にとっては、毎日が記念日です★そんな夢子ちゃんの闘病生活のことや、アロマのこと、そして日々の生活を綴ったブログです♡

2コメント

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  • ゆめママ

    2017.08.23 05:55

    なおさん♡ コメントありがとうね。いやぁ。なおさんだって、あーちゃんのあの産まれた時からいろいろあった事を聞くと、 皆んな乗り越えてくれて本当に嬉しいよね。みんなそれぞれの白血病ストーリーがあるよね。
  • なお

    2017.08.22 13:42

    なんか、もう、大変だったのは分かってたつもりだったけど、このブログ読んで、もう何とも言えない気持ちになったよ。もし自分がその立場だったらって。 本当に、病気も、自分たちの思いも、ひとつひとつ乗り越えてきたんだね。 うう〜(T-T)